2014年8月13日水曜日

ベルトの穴がひとつ内側へ

先月半ばからジムに通いだして今日で5回目。
ジムと言っても市が運営する施設内のトレーニング室だ。

1回100円で自転車で5分のところにあることを先月知った。
運動不足で体形もおっさんになってきているので、色々解決策を探していたらジムを見つけた。

4回目までは毎回利用時に氏名と電話番号を記入していたのだけど、4回目の帰りにロッカーキーを管理者に返すと登録証をもらえた。次回からはこれを見せるだけで手間なく利用できる。

4回目でもらえるというのが面白いなと思った。初回利用時にまず登録させるようなところも多そうなのに通っているジムは4回目まではゲスト扱いなわけだ。

記入の手間が減るだけでカードがもらえても他に違いはない。たぶん数回利用して来なくなる人が多いからこういう仕組みにしたんだと思う。

逆に言えば、4回通った人はその後も利用し続ける確率が高いわけだ。ということで今回俺はかなりの確率で肉体改造に成功する。

三日坊主なんて言葉もあるように3回くらいは頑張って通う人が多いけど、4回目来るかどうかでこのジムはその後を判定している。

たとえば、ダイエット目的で最初試しに行ってみて、まあモチベーションが強ければもう一度くらいはすぐに行くだろう。3回目あたりでわりと面倒くささを感じて4回目はないといった感じか。

別に続けないことが悪いとか、俺は4回以上通ってるからすげーだろとか、そういう話をしたいわけじゃない。

どちらかと言えば俺は面倒くさがりだし色々なことを続けられずにいる。というか無理に頑張ってまで続ける必要はないとも思っている。面倒くさいことは別の手段を考えたり、面倒くさくない方法を考えたりする方が断然良い。

今回ジムに通えているのは、いうなら偶然だ。

偶然、利用料が安くて器具も9種類くらいそろっていて毎日22時までやっているトレーニングルームが自転車で5分のところにあった。

このどれかが欠けていたら今回も多分三日坊主になっていたと思う。

一回千円の利用料だったら家で腕立てと腹筋するほうがいいと思っただろう。
自転車で15分のところだったら、やはり家で腕立てと腹筋だけすればいいと思っただろう。
器具が数種類しかなければ、それこそ家で腕立てと腹筋だけやればいいと思っただろう。
毎日22時までやっていなければ行ける機会が減って家で腕立てと腹筋だけやればいいと思っただろう。

ジムに通うことは全く億劫ではない。家で着替えてからジムにいって複数の器具で色々な筋肉を鍛えたりスマホをいじりながらバイクで汗を流したり備え付けのウォーターサーバーで水を飲んだり筋肉をいじめてストレス発散したりした後、夜風にあたりながら自宅にもどり家のシャワーで汗を流す。

運動自体は好きだから環境さえ整えば楽に続く。

市のトレーニングルームはだいたいみんな自分の意思(健康とかダイエット目的)できている。自分の意思だけだから面倒だと感じると3回以上は続かない。まあ続かない理由は面倒意外にも、混んでいる時間しか利用できなかったりシャワーがひとつしかなかったり多少器具が使い古されていたりと人によって色々あるとは思う。


三日坊主って、“物事に飽きやすく、長続きしないこと。また、その人。”という意味で、なんだか人の性質のようだけど、俺は三日坊主じゃない人をある意味でほとんど知らない。

周りをみていて自分の意思で始めたことで、まあやってもやらなくてもそんなに生活に支障はない事で「頑張ってる」ことは俺も含めて大体続いていない。いうなら全員三日坊主。

受験勉強にしてもダイエットにしても続けられるかそうでないかは、その人の物事に飽きやすい性質というよりは環境の方が何倍も関係していると思う。

俺は学生のとき当時は地理とか歴史とか古文とかはまるっきり興味がなくて成績もかなり低かった。だけど、教えるのがすごく上手で面白い先生なら伸びていたかもしれないし、大学のときに家庭教師として中学の歴史の教科書を見たときは結構興味を持って読めた。

まあ、何となく書き始めたこの記事だけど要するに、

何かしらの結果を得るには続けることが重要だけど、続けるには「意思」よりも「環境」の方が大事だから、まずは自分が続けられる環境をつくることを頑張れ!ということ。

今回、運動不足解消のために色々解決策を模索したら、利用料が安くて器具も9種類くらいそろっていて毎日22時までやっているトレーニングルームが自転車で5分のところにあることを発見した。この時点で、俺の痩せたいという意思とは関係なく、ベルトで使用する穴が奥にずれていくことがほぼ確定したのだ。

2014年8月12日火曜日

好きなことをやるほうが成功しそう(僕の場合)

最近WEBサービスのコンテストがあって、作っていたサービスを出してみたら優秀賞ではなかったけど、スポンサーの賞をいただけた。すごく嬉しくて周りの反応もよかった。

でも「頑張ったね!」といわれるとすごく違和感があって、まあ時間と労力はかなりかけて真剣に作ったのだけど、好きでやってることだから頑張ってるという感覚はあまりない。

最近だとLINEレンジャーというゲームが好きで結構はまってそのときの最終ステージまでクリアしたのだけど、WEBサービスの開発とLINEレンジャーを交互にやっていた。

WEBサービスの開発もゲームもどっちも面白いからやっていただけ。どっちの方がより面白いかといえば、開発の方が5倍以上楽しい。だけど休日に何時間もやっているとさすがに疲れるから息抜きでゲームしてた。

さっきの「頑張ったね!」の違和感の話に戻ると、どっちも好きでやっていたことなので「LINEレンジャー最後までいってすごいね、頑張ったね!」と言われているような違和感なのだ。

別に頑張ってはない。ゲームもWEB開発も好きでやっただけのことだ。

ゲームはクリアしてもあまり褒めてもらえないけど、新しいサービスを作ると誰かが喜んでくれたりする。

俺の性質としてゲームやるよりもWEBサービス作るほうが楽しいというのがあって、それで色々作っているとたまにユーザーから感謝されたり褒めてもらえたりする。これってすごくラッキーかも。多少意識してそうなったのかもしれないけど、ゲームよりも開発の方が好きな俺ってすごくラッキーかも。

まあ、なんか自分の好きなことで誰かの役に立てれるならそこを生かすのがいいよね。